正直者がバカを見る。これは本当?これでいいのだ!
私は「正直者はバカを見ない」と常々思っています。
「正直者がバカを見る」この言葉の根底には、正直な人はみんな得するべき、正直者が損してはならない、と考えている人たちの価値観なのではないのでしょうか。
要するに、正直であることに損得勘定を当てはめてしまっている証左だと考えます。この時点で、既に正直ではないと思えてなりません。
「正直」とは、得するための手段ではない
ほかでもなく、正直であるかどうかは、その人が選んだ生き方であり、人生そのものだと思います。誰かのために正直でいるのではなく、自分のために正直あることを選んでいます。
正直な人が必ず得するべき、と考えているのなら、正直とは得するための手段ってことになります。もし、そうでありたいのであれば局面局面で常に得する方を選べばいいだけです。
例えば、多国間におけるビジネス交渉の場などでは、当然、国籍ごとに国内法がある訳で、文化やしきたりの違いも顕著です。こうした状況下で、自国の価値観や道徳観を押し通していたのでは、何れは蚊帳の外になってしまい、儲けるどころか大赤字です。
「正直」とは、自分が得するための手形ではない
何を言いたいかと申しますと、「正直であること」を得するための通行手形だと考えているのなら、それは違うということです。「正直」とは、自分自身を肯定し、そうである自分を誇りに思い好きになるためのものだと思います。
私は、正直に生きる自分が大好きです。正直であることで目先の稼ぎが減ることも多々ありますが、損しているとは思いません。
これでいいのだ!